組織罰を実現する会

◇当会の目的
日本では、どんな大きな事故を起こしても、法人の刑事責任は問われません。
刑法に法人を罰する仕組みがないからです。 しかし、組織の事業活動の結果、人の命を奪うような大事故が起きても、誰の責任も問われないということでは、遺族は納得できません。
本当に安全な社会のシステムを確立するために、組織を処罰する法律が必要です。 そこで、わたしたちは「組織罰を実現する会」を立ち上げました。


組織罰についてのニュースを聞いて、両罰規定のようなものかなと思ってちょっと調べてみた。

法務省に署名を提出した組織罰を実現する会のサイトには、会の目的として「組織の事業活動の結果、人の命を奪うような大事故が起きても、誰の責任も問われないということでは、遺族は納得できません」と書かれていて、池上俊一動物裁判」を思い出した。秩序を回復するためには生贄が必要なのだ。

法人の刑事責任は問われなくても、個人の責任は問われるだろう。「誰の責任も問われない」のではなく、責任を問われたが誰の責任でもないと判断されたのではないのかな、知らんけど。結果が重大であれば処罰感情も強くなるだろう。しかし、違法性、有責性がない行為は犯罪ではない。両罰規定であっても、行為者が罪を犯していないのであれば、法人も罪に問われることはないのではないかな。

もしかして、組織罰を実現する会は、無過失責任を目指しているのだろうか。


 後になって考えたことだが、福知山線脱線事故では運転士は死亡していたので不起訴処分だった。運転士は刑事責任を問われていないと言われれば、そのとおりだ。しかし、行為者も法人も民事訴訟で責任を追及することは可能だろうし、「誰の責任も問われない」というのは言い過ぎだろうと思う。

 

新聞の記事にははっきりと「両罰規定」書かれていた。ラジオのニュースでは「『組織罰』の新設を求めて」と言っていたので、両罰規定との違いはなんだろうと思ったのだ。「新設」よりも「業務上過失致死罪に両罰規定を設ける」の方がよさそうだ。

 

組織罰があることで企業が安全管理を強化するかもしれないが、リスクが高かったり儲からない事業は切り捨てられるかもしれない。たとえば、何年か前にJR北海道では事故や検査の不正などが続いたが、乗客が少ないだけでなく厳しい自然環境で線路の維持が困難だし、コストをかけるよりいっそ廃線に… ということにならないか。(それはそれでいいと思うけど)