グレゴリオ暦のようでグレゴリオ暦でない

太陽暦グレゴリオ暦を意識して使い分けている場合がある。

明治5年の「改暦ノ布告は、施行まで1か月に満たない期間の中で慌てて布告されたためか、置閏法に不備があった。それはグレゴリオ暦の肝心な要素である『西暦年数が100で割り切れるが400で割り切れない年(400年間に3回ある。)を、閏年としない』旨の規定が欠落していたことである」ため、グレゴリオ暦とは別の暦なのだ。

明治31(1898)年に改正され正真正銘のグレゴリオ暦になり、1900 年はめでたく閏年ではなくなった。当時、帝国大学理科大学付属東京天文台が暦を編纂していたらしいが、グレゴリオ暦のルールにより編纂された暦をチェックした大学職員が法令の不備に気づいたのではないかと思う。国立天文台のサイトによると、明治24年の暦で月食の記載漏れがあり総長、理科大学長の進退問題になったそうなので、かなり気合を入れてチェックしていたのではないかな。気合を入れなくても、あれっ閏年じゃないのと思うだろう、たぶん。勝手な想像だけど。