以上、以下

刑法学には、結果無価値、行為無価値という言葉がある。違法性の本質は法益の侵害なのか、それとも規範の侵害なのかという違いだ。
(乱暴だが簡単にいうと)違法性の本質が法益の侵害であれば、被害が生じなかった未遂犯には甘く、被害を生じさせた過失犯には厳しく、ということになる。ポイントは結果なのだ。さて、これは結果無価値論だろうか、行為無価値論だろうか? 結果無価値論なのだ。
「結果」と切り離して、規範に違反する「行為」を評価するのは、結果無価値論ではない。「結果」を評価するのが結果無価値論なのだ。無価値とは、価値が存在しないこと、つまりゼロあるいは中立を意味しているのではなく、マイナスの価値を意味している。マイナスの価値評価だからこそ非難されるのだ。 結果に価値がないから行為で評価する、というわけではない。

刑法学の「無価値」ほどではないが「ダイヤモンドプリンセス以下の『棄民』政策」の「以下」には混乱した、ほんの一瞬だけど。「以上」ではないか?
−2と −1を比較して −2は −1より小さいのと同じように評価がよりマイナス側に移動するので「ダイヤモンドプリンセス以下」というのも理解できる。しかし、「棄民」自体にマイナスのイメージがあるので、プラスかマイナスかは無視して程度の大きさで比較すべきという気がするのだがなぁ… その方が直感的ではないかな…


グランドプリンセス、最初はそれほどひどい状況にはならないだろうと思っていたので、お手並み拝見という気分だったが…
うーん、どうなることやら…


3/15 追記

「ダイヤモンドプリンセス以上の酷い状況」を「ダイヤモンドプリンセス以下の酷い状況」に言い換えることができるなら、「以上」と「以下」は同じ意味と言ってよいかな。