祇園祭、太陽暦への改暦にともなう日程の変更について思いついたこと。
1868(慶応4、明治元)年から 1877(明治10)年までの10年間の旧暦6月7日がグレゴリオ暦では何月何日なのか調べると、
1868 7/26
1869 7/15
1870 7/05
1871 7/24
1872 7/12
1873 7/20
1874 7/09
1875 7/27
1876 7/27
1877 7/17
7月上旬2回、中旬4回、下旬4回
7月17日はほどよい感じ
祇園祭の期間を7月1日から一か月間に固定するため?
官公庁で土曜日が半休、日曜日が休日になったのは、1876(明治9)年
きっかけの一つになったのではないか?
時間意識の変化について工場、学校の存在が注目されるが、1872 年の学制以前から京都には町組(番組)ごとに町衆が創設した番組小学校があった。少なくとも学制以後は定時法による時間割だっただろうし、近代的な暦法や時法はある程度浸透していたのではないか?