国葬儀を執り行うとの判断に至った理由の一つが「民主主義の根幹である選挙活動中の非業の死であり、こうした暴力には屈しない、という国としての毅然たる姿勢を示すこと」だそうだ。

なぜ国葬儀が暴力に屈しないという姿勢を示すことになるのか理解できない。

国民の多くが反対する国葬儀を強行しようとするのは、民意には屈しないという姿勢を示しているのではないかな?

 

「自由で公正な選挙は絶対に守り抜かなければなりません」

1999年、下関市長選挙において安倍事務所が選挙妨害を依頼したことを知らないわけではないだろう

もしかして、暴力は許されないが、中傷ビラの配布は「表現の自由」だと思っているのかな?